米澤穂信、東京創元社文庫。心優しき友人田中君が貸してくれた、<小市民>シリーズの二巻目。「狐」小鳩君と「狼」小佐内さんの、夏休みの話である。
毎度毎度の米澤穂信、ということは出来る。すでに確立されている堅牢なキャラクター性。短径にして精密な言語の選択。食物描写に代表されるみずみずしい視点。凄まじくクラシカルな、凄まじい小説の実力。なるほど、毎度毎度の米澤穂信、である。
だが、この作品はいくつか違っている。一つは、この作品が「長編」だということだ。短編の集合体でありながら、そこには一つの大きな謎解きを内包−もちろん、米澤穂信は殺人「こそが」謎解きである、などというかびの生えたテーゼにはしがみつかない−している「長編」。人が死なず、男女がくっつかず、人格が激変することもない、静謐な小説に丁寧に仕掛けられた点と線と面。これもまた、クラシカルな小説の力だ。
そして、なによりも。この小説はそのエンディング、最後の二ページにおいて、ミステリであることを止める。それはジュブナイル−いや、むしろビルディング・ロマンスという古臭い言い方をしよう−というジャンルに、一瞬で色を変えるのだ。その見事さ。身を切られる切なさに奥歯を噛み締め、心が流す血の鮮明さに目を見張る。たらたらと、だらだらと、毎度毎度の米澤穂信を楽しんでいた読者は、ここで突き落とされる。
その落下は、だが心地よい眩暈を、とんでもなく心地よい眩暈を伴っている。裏切り、意外性、あっと驚く展開。だが、そうなるしかないという必然。園矛盾を領有してなお面白い、というのもまた、米沢穂信が有しているクラシカルな小説の実力−エピソードのくみ上げ、キャラクターの掘り込み、間合いの設定とその変化、短径な描写力、ここら辺でとめていいだろうか?−が支えるものなのだ。
米澤穂信。やはり、すごい小説家だ。